「左半身麻痺になった僕が仕事を続けられているのは、新しい仕事の提案を会社が受け入れてくれたからです。オノコムでなければ仕事を辞めていたと思います」と、技術本部統括技術主任の泉友裕は話す。
ある朝、起床後に体調の異変に気づく。呂律が回らず、思うようにタイピングできない。ネットで調べると脳梗塞の症状だった。すぐ救急車を呼んだ。
もともと脳の血管が詰まりやすい持病があり、バイパス手術を受けていたが、その血管にできた動脈瘤が破裂。病院へ運ばれた時には瞳孔が開きかけ、生命の危険が危惧される状態だった。
病床で目を覚ましたとき、左半身の麻痺を知る。
「めちゃくちゃショックでしたけど、薄れる記憶の中で脳出血という言葉が聞こえたので『そりゃそうか』が、正直な感想でした。そんななかでもありがたかったのは、上司が『どれだけ時間がかかってもいいから、リハビリがんばって戻って来い』と言ってくれたことです」
医師から認知機能には問題ないとお墨付きをもらった泉は、麻痺が残る身体でもできる仕事は何か考えた。いろいろ考えて辿り着いたのは、現場に出る後輩社員にスマートグラスをかけてもらいリモートで指導をするアイデアだった。このアイデアをオノコムのアイデア公募型会議「なければつくる提案」に提出したところ了承された。泉は病院にいながら仕事に復帰する道を自らの手で開いた。
退院後、10ヶ月のリハビリを経て会社に復帰。現在は書類や進捗状況の管理を担当するとともに、現場監督としての経験を活かして「現場トレーナー」という教育システムを使った人材育成の仕事に携わる。
「現場の仕事って計画通りに進むことがほとんどないんですよ。でも、どんな困難に直面しても現場監督は工期というゴールへ現場を導かなくてはならない。だから、どうすれば上手くいくか、考え続け、必ず結果を出す。その能力を現場監督の経験で身につけました。左半身が動かないとわかったとき、必死で考え続け、この身体でも働ける仕事を創り上げ、会社に認めてもらった。現場監督で困難を乗り越える力を身につけたおかげです。その経験がなかったら心が折れていたかもしれません」
大病を経験してハンデを負っても、“なければつくる”で困難を乗り越えた。その先に何が待ち受けていようと、考えて、考えて、考えて、泉は必ずゴールへ向かい進み続ける。
プロフィール
泉 友裕
2009年入社。技術本部統括技術主任
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